漢方の本領 -「瞑眩(めんげん)」について- その1|千葉県香取市佐原の漢方薬局

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今月の漢方

漢方の本領 -「瞑眩(めんげん)」について- その1

およそ物事には必ず原因があり、結果があります。しかもその原因結果は必ずしも1対1ではありません。多くの場合多数の、強調して言うなら無数の原因から無数の過程を経て無数の結果が生じています。これが俗に言う「タラレバ」が成立しないといわれる所以ですが、人体に於いても、現代医学薬学は、その無数の生化学反応の中から、特に原因結果の著しいものを取り出し、それに人智を以って解釈工夫を加え、疾病の治療に資しております。しかし、元来多数無数を相手に分析解析しているのですから、微に入り細を穿ち、治療法、治療薬も年々精緻にして、逆にまた年々煩瑣にもなるを免れません。

そこへいくと漢方医学は実に明快であります。既に結論が出ております。後はそれを使用する側の使い方如何にかかっているのみであります。ただ、ひと口に漢方医学といっても、たとえば中国や日本といった国や土地風土、その時代々々の人々の物の考え方などによって大きな相違があり、それこそ煩瑣煩雑でありますから、ここでは、 「漢方医学の根本とは何か」 「何が漢方薬の本領であるか」 ということについて、少し聞きなれない言葉でありますが 「瞑眩(めんげん)」 という現象について、私自身の体験を踏まえ、お話ししたいと思います。そもそも、漢方医学の研究者にせよ、治療家にせよ、予めこの根本が立たないと、徒に前述のような「煩瑣煩雑」の森の中に彷徨する事にもなりかねませんから、これはこれで頗る重要な事柄であります。

またこの文章だけではありませんが、読んで下さる方は、私の言葉を、ひとつ「科学」という観点から離れてお読みいただきたい。「科学」という学問は、ある事物事象を「分類」「分解」「分析」して観察究明していく学問であります。思考方法が論理的であります。それに対し漢方医学をつくった時代の人々は、このような観察手段を持ちません。論理的思考方法が未発達であります。その代わり事物事象の把握が直覚的であり、思考方法が直観的であります。このような考え方、捉え方を以って、長い長い年月をかけて世々蓄積された経験がまとめられたものが、現在漢方医学と称されるものの元になったのであります。

それでは、現代の科学的観点からではなく、古人の考え方で漢方処方をそのまま使用すると、どのようなことが起こるのか、お話しましょう。

(続く)                                          平成29年1月17日 記

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